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2008年10月

笑うシロナガスクジラ

Fishkujirabond02 「笑うシロナガスクジラ」

60.0×73.0㎝ 1990年制作

Bond Work(ボンド・ワーク) Mixed Mediums on Card Board

歩道を歩きながら「ちっ」と舌打。

ものすごい悪臭に思わず立ち止まって、靴の裏を見る。

「あー、もうっ!

靴の裏に粘りついた猫の糞を想像し、げんなり。

…と、てっきり猫の糞を踏んでしまったと思い込み、独りでイラついていたら、なんと悪臭の正体は銀杏でした。

「そうか、そんな季節かぁ」

ちょっと嬉しいような、寂しいような…そんな気持ちになったのは、先々週のこと。

ところが、今週に入り突然気温が下がり始め、夜明けの冷え込みに耐えかねて、大変面倒くさい布団の入れ替え作業を余儀無くされてしまった。

そして…得意の「冬眠態勢」に入る。

ゆえに、ギャラリーも暫くは『水族館』巡りです。

クジラは昔 陸を歩いていた―史上最大の動物の神秘 (PHP文庫)
Book
クジラは昔 陸を歩いていた―史上最大の動物の神秘 (PHP文庫)
著者 大隅 清治
販売元 PHP研究所
定価(税込)   ¥ 581

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エイ

Fishmantabond04_4 「エイ」

60.0×73.0㎝ 1990年制作

Bond Work(ボンド・ワーク) Mixed Mediums on Card Board

今泉の東京藝術大学時代の友人、金藤 櫂さんが本を書いたというので、さてどんな内容だろうかと、柄にもなく『詩画集』などというものを購入してみることにした。

本を持参で会いに行けば、サインをしてくださるというので、さっそく購入した詩画集を持って金藤氏のもとへ…。

大変快活で気さくな方なので、二年ぶりの再会にも関わらず、オーバーアクションで表情豊かに歓迎してくださった。(好き放題に注文を付けて、ちゃっかりサインを頂いた私も私ですが…)

鉛筆によるモノトーンの世界に、金藤氏が綴った詩が添えてあって、気に入った絵から、あるいは心に留まった文章からと、パラパラとめくりながら、のんびりと楽しめる詩画集になっている。

タイトルは『歩く人』、副題は-あなたへのやすまり波-である。

本の最後に「着陸地点」と題して、金藤氏のモノトーンへの想いが書いてあり、これが今泉作品と全く対照的な世界観を持っているので、なかなか興味深く面白かった。

ある年齢を過ぎてから、詩集というものを手に取る機会がめっきり減ってしまっていたが、金藤氏の詩画集を楽しんでいるうちに、谷川俊太郎氏の詩集の中で一番好きな一編を思い出し、急に読み返したくなって本箱を引っ掻き回してしまった。

タイトルは『灰についての私見』(「定義」より)である。

そして、ふと気付く。

ああ、そういえば、小学校は『読書週間』真最中だったな…。雑事にかまけているうちに、世間様は、もうすっかり読書の秋へと突入しておりました。

<灰についての私見> 谷川俊太郎  集英社文庫 谷川俊太郎詩選集2より

どんなに白い白も、本当の白であったためしはない。一点の翳もない白の中に、目に見えぬ微小な黒がかくれていて、それは常に白の構造そのものである。白は黒を敵視せぬどころか、むしろ白は白ゆえに黒を生み、黒をはぐくむと理解される。存在のその瞬間から白はすでに黒へと生き始めているのだ。

だが黒への長い過程に、どれだけの灰の諧調を経過するとしても、白は全(まった)い黒の化するその瞬間まで白であることをやめはしない。たとえ白の属性とは考えられていないもの、たとえば影、たとえば鈍さ、たとえば光の吸収等によって冒されているとしても、白は灰の仮面のかげで輝いている。白の死ぬ時は一瞬だ。その一瞬に白は跡形もなく霧消し、全い黒が立ち現れる。だが―

どんなに黒い黒も、ほんとうの黒であったためしはない。一点の輝きもない黒の中に目に見えぬ微少な白は遺伝子のようにかくれていて、それは常に黒の構造そのものである。存在のその瞬間から黒はすでに白へと生き始めている。

歩く人―あなたへのやすまり波 Book 歩く人―あなたへのやすまり波

著者:金藤 櫂
販売元:丸善プラネット
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人間のかたち

Man06 『人間のかたち』

67.0×82.0cm 1996年制作

Mixed Mediums on Shaped Cardbord

古い大学病院の廊下にて。

今、私が通院している市内の大学病院は、旧棟と新棟に分かれていて、二階部分でその二つが結ばれている。

基本的に、外来や新患診察は旧棟で、入院や最新の医療機器を使用した検査は新棟で行なわれているようである。

旧棟の天井は低く、ところどころ外れかかったパンチング加工の天井パネルが、行きかう人の頭上数十センチのところで、辛うじて天井にぶら下がっているのが危なっかしくて、ついつい目がいってしまう。

その天井パネルとは対照的に、たった今取り替えましたといわんばかりのピカピカの蛍光灯が、長い廊下と並行して、建物の端から端まで続いている。

廊下に沿って連なる診察室の扉は、幾層にも塗り重ねられた塗料で厚ぼったくなっていて、その扉の取っ手と蝶番の部分だけが新しく、不釣合いに光っているのが印象的だ。

長い長い廊下に沿って、診察室の扉と扉の間に、待合の長椅子が、これまた建物の端から端までずらりと並んでいる。

その長椅子にぽつんと座り、自分の名前が呼ばれるのを、静かに待ち続けるのが、患者に与えられた役割だ。

待ち時間というのは、いつも心が空っぽになる。これから起こるであろう色々なことに迅速に対処できるよう、少しの間、心に休息を与えているという感じだ。

そんな空っぽの心で長椅子に腰し掛け、長い廊下を端から端まで、何の気なしに眺めていると、よく磨きこまれた古い廊下に、周りの様子が映りこんでいることに気が付いた。

新棟とは建物全体の空気がまるで違うものだなと思いながら、蛍光灯の光が反射する長い廊下を見つめる。

そして…古い大学病院の廊下にて、小さな発見をした。

廊下にくっきりとストレッチャーの轍が残っていて、ベージュのリノリウムの廊下が、轍に沿って波打っているのである。

一体、何百回、いや、もしかしたら何千回、患者を載せたストレッチャーがこの廊下を行き来したのだろうか。

簡単な病気や怪我の人もいれば、そのストレッチャーで運ばれたまま、二度とは帰ってこなかった人や、未だに重病と闘い続けている人もいるのかもしれない。

廊下の轍は、病院の歴史を物語っていると共に、その時確かにそこにいた誰かが残した生の軌跡でもあるのだろう…と、そんなことを考えてしまった。

しかし…病院というのは、目的が自身の病気の受診でも、誰かの付き添いでも…やっぱり苦手で、なかなか慣れないなぁ、と苦笑するばかりである。

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