素描―ペンギン
The ZOOシリーズのための素描
こちらの乱視が進行したのか、ペンギンが分身の術を使ったのか。
「これは確かに一体のペンギンである」という、視覚から得られる安心感がないと、なんだか見ていて落ち着かない。
鳥は、翼を広げ大空を羽ばたくもの、という固定した考え。
人間は、二足歩行で大地を踏みしめるもの、という固定した考え。
なんらかの定義は、他人にそのモノについての説明を求められた時、とても役に立つものだなと思う。
そのお陰で、自分自身の存在についても、ちょっとした安心感をもっていられるような気がしたりもする。
(この安心感というものについて、上手く説明するのはひどく難しいのだけれど、例えば「人間」も「動物」であるのだが、「理性的」という種差を挙げることによって、「人間は理性を持った動物である」という定義ができ、自分が所属することを許される、他の動物とは違う社会があるのだということを知ることができ、それによって、ほんの少しばかり安堵するということを言いたいわけです…)
自分の居場所、自分が所属すべき社会…それらを模索し、苦悩する時代というのは、誰にでもあるのではないかと思う。
三島由紀夫は『鏡子の家』のなかで、四人の青年たちの生の軌跡を、朝鮮戦争後の荒廃した時代相の中に浮き彫りにしている。
重里徹也著『文学館への旅』の中に取り挙げられていたので、興味を惹かれて読んだ本。(筆致に慣れるまでに時間が掛かり、前半は脳トレのようで…後半は一気読み、という本でした)
(うーん、しかし…。『人鳥』と呼ばれるペンギンさん。このネーミング、とっても迷惑なんではなかろうか…)
| 鏡子の家 (新潮文庫) 著者:三島 由紀夫 |
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