カテゴリー「人間のかたち」の11件の投稿

人間のかたち

Man06 『人間のかたち』

67.0×82.0cm 1996年制作

Mixed Mediums on Shaped Cardbord

古い大学病院の廊下にて。

今、私が通院している市内の大学病院は、旧棟と新棟に分かれていて、二階部分でその二つが結ばれている。

基本的に、外来や新患診察は旧棟で、入院や最新の医療機器を使用した検査は新棟で行なわれているようである。

旧棟の天井は低く、ところどころ外れかかったパンチング加工の天井パネルが、行きかう人の頭上数十センチのところで、辛うじて天井にぶら下がっているのが危なっかしくて、ついつい目がいってしまう。

その天井パネルとは対照的に、たった今取り替えましたといわんばかりのピカピカの蛍光灯が、長い廊下と並行して、建物の端から端まで続いている。

廊下に沿って連なる診察室の扉は、幾層にも塗り重ねられた塗料で厚ぼったくなっていて、その扉の取っ手と蝶番の部分だけが新しく、不釣合いに光っているのが印象的だ。

長い長い廊下に沿って、診察室の扉と扉の間に、待合の長椅子が、これまた建物の端から端までずらりと並んでいる。

その長椅子にぽつんと座り、自分の名前が呼ばれるのを、静かに待ち続けるのが、患者に与えられた役割だ。

待ち時間というのは、いつも心が空っぽになる。これから起こるであろう色々なことに迅速に対処できるよう、少しの間、心に休息を与えているという感じだ。

そんな空っぽの心で長椅子に腰し掛け、長い廊下を端から端まで、何の気なしに眺めていると、よく磨きこまれた古い廊下に、周りの様子が映りこんでいることに気が付いた。

新棟とは建物全体の空気がまるで違うものだなと思いながら、蛍光灯の光が反射する長い廊下を見つめる。

そして…古い大学病院の廊下にて、小さな発見をした。

廊下にくっきりとストレッチャーの轍が残っていて、ベージュのリノリウムの廊下が、轍に沿って波打っているのである。

一体、何百回、いや、もしかしたら何千回、患者を載せたストレッチャーがこの廊下を行き来したのだろうか。

簡単な病気や怪我の人もいれば、そのストレッチャーで運ばれたまま、二度とは帰ってこなかった人や、未だに重病と闘い続けている人もいるのかもしれない。

廊下の轍は、病院の歴史を物語っていると共に、その時確かにそこにいた誰かが残した生の軌跡でもあるのだろう…と、そんなことを考えてしまった。

しかし…病院というのは、目的が自身の病気の受診でも、誰かの付き添いでも…やっぱり苦手で、なかなか慣れないなぁ、と苦笑するばかりである。

 海堂尊/チーム・バチスタの栄光 海堂尊/チーム・バチスタの栄光
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人間のかたち‘97

Man02 『人間のかたち`97』

105×70cm 1997年制作

Mixed Mediums on Shaped Cardbord

今泉がなくなってから3年半。

生前の友人や同僚から、新しい芸術活動を開始した旨を記した、展覧会の案内状が届いた。

『コンテンポラリーなアートの風を感じてください!』

そう銘打った展覧会は、福岡発のアート専門雑誌『ARTing』の創刊に併せて開催されるようだ。

風はいつも吹いている。

「芸術に新しい風を!」

「政治に新しい風を!」

「教育に新しい風を!」

探求するという行為は、生きる力を伴っていて、風はいつもその背中を押している。

9人の美術家たちによる『福岡・芸術文化の創造と思考』が、どんなふうに新しい風を呼び込むのか、あるいは新しい風に押され発展していくのか…

是非展覧会に足を運んで確かめてみたいと思っている。

Kaze 『ARTing』展 9人の美術家たち  ギャラリー風

2008.10.6(mon)~12(sun) 10:30am~7:30pm(最終日は5:00pmまで)

出品者 

池松由理、金藤 櫂、成清美朝、樋口英資、平山隆浩

古本元治、水永宗勝、三原信彦、宮川凛子

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人間のかたち-Hips&Legs

Man03 『人間のかたち-Hips&Legs』

227×182cm 1996年制作

Mixed Mediums Paiting

茹だるような暑さの盂蘭盆会を何とか乗り切り、ようやく秋の気配がみえ始め、ふと気付けば、世間はもう秋彼岸。

時間の経過の早さに驚くばかりだ。

我が家の居間には小さな仏壇があって、子供らの玩具に囲まれて、とても場違いなところに鎮座している。

仏壇の中には位牌が一つ。父親の戒名が刻まれている。

突然の死によって永遠に出会うことの無くなった父親と子供らを繋ぐ大切な手段として、遺骨を引き取り、供養を引き受け、納骨堂と自宅に仏壇を購入した。

父親と別れたのは、息子が小学3年生、娘が幼稚園年長児のときである。

子供らは、父親の遺作に囲まれ、時折、父親の友人から思い出話を聞かせてもらい、仏壇に合掌し、納骨堂の掃除に行き…そんな風にして父親のいない時間を過ごしてきた。

…こうして時は流れ、気が付けば、息子は中学1年生、娘は小学4年生となっていた。

思い出は永遠に彼らの心の中にあって、この先、彼らを何らかの形で助けてくれるであろう…などと思っていたのだが、先日娘が、学校の宿題で引っ張り出して来たアルバムを見ながら、

「パパって、この人よねー?」

と指差すので、思わず「ええー!?」と驚きの声をあげてしまった。

優しかった『パパ』がいたことは覚えていても、いなくなってしまった『パパのかたち』は、彼女の記憶から、段々とその影が薄れていっているのを、意外なかたちで知ることとなってしまった。

父親が存在していた証明として、彼の子である娘がそこに存在しているのだから、思い出というあやふやな物よりも、確かな『実体』である彼女が今ここに存在していることが重要なのだとは思う…

しかし…あんなに溺愛していた「僕のかわい子ちゃん!」に、薄ぼんやりとしか思い出してもらえない『パパ』は、今頃ひとり、彼岸で涙しているかもなぁ~ ┐(´-`)┌と、ちょっと寂しくなったりするのでありました。

⊂二二二( ^ω^)二⊃ ブーーーン

第49話『あべこべ』の出だしのページ、台所の横のテーブルの上に、知る人ぞ知る『お父さんスイッチ』が置いてあります。か、感動…。 やっぱり、あずまきよひこ氏は素晴らしい。

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人間のかたち

Man08 『人間のかたち』

65.0×102cm 1996年制作

Mixed Mediums on Shaped Cardbord

お腹の中に 「何か知れないものがある」 と言われてから、その正体を突き止めるために市内の大学病院へ、週に一度のペースで検査に出かけるのが習慣となってしまった。

たいした検査ではないものの、検査を受ける際には認印をした『承諾書』なるものを提出しなくてはならない。

承諾書には様々な項目が書き連ねてあるのだが、簡単に言えば、検査に際しての『してはいけないこと』・『しても構わないこと』・『不測の事態が起きた場合の責任の所在』などの説明が羅列してあるのである。

『してはいけないこと』というのは、よくある検査前の注意事項で、絶食・飲酒・運転・服薬などについてだ。

『しても構わないこと』というのは、飲食や運動を含めた、生活習慣についてのことが書いてある。

結局、押印しなくては検査は受けられないわけで、仕方が無いのでざっと目を通し署名捺印をするしかないのだが、今回はその中に、思わず目を止め、時代の流れを感じずにはいられない項目を見つけ、ひとりで苦笑してしまった。

・『この検査では、セカンドオピニオンを受けることが出来ます』

…少し前までは、患者が他の病院もしくは医師に意見を求めることを極端に嫌う病院や医師が多かったのになぁ~、社会の風潮を反映しているもんだなぁ~、と感心してしまった(苦笑)

(もちろん、今でも 「よその病院にはカルテを出さない」 とか、医師が激高して 「そんなに信用しないなら、当院ではもう診察できません」 などと、冷たく言い放つ医師も多いようだけれど…。)

さて、原因がわかれば、後はどう対処していくか、である。

対処の方法は様々。そして…その最終的決断は全て患者側に任されるのである。

病院にとって重要なのは、医学に対する医師の信念や情熱などではなく、いざという時のための責任の所在を明確にしておくことのようだ。

患者側も、情報を集め勉強をしなくては、病院とうまくは付き合っていけないのだと、改めて感じた通院だった(…てか、未だ通院中ですが ┐(´д`)┌ヤレヤレ…)

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人間のかたち

Man07 『人間のかたち』

102×65.0cm 1996年制作

Mixed Mediums on Shaped Cardbord

たった一つの肉体の中に、沢山の『私』がいる。

何気無く、その一つ一つの『私』を、思いつく限り頭の中で羅列してみる。

・子供らと過ごすときの母親の『私』

・学校や地域で活動するときの保護者としての『私』

・会社で仕事をするときの、社会の中の大人の『私』

・友人と他愛無いおしゃべりをする、ちょっと油断している『私』

・仏壇に合掌し、二度と戻れない過去に囚われている『私』

・誰とも接しない静かな時間に、心の整理をしたり空想を楽しむ丸裸の『私』

・月に一度、受診先の病院で対話するときの、医師と自分に対してすっかり冷めてしまっている『私』

次から次に、色々な『私』が浮かんできて、羅列するときりがない。

接する相手や状況によって、無意識に自分の中の沢山の引き出しを開けて、その場にふさわしい『私』を自動的に選択し他人と接しているのだなと、改めて知る。

どれも全部『私』なのに、どれが本当の『私』なのか分らなくなる。

そんな時、ふと頭の中に作家・中山可穂氏が浮かんでは消える。

彼女は、丸裸の自分を外に向かって見せるのに、どれだけの勇気と時間を要したのだろうか。

初めは単なる『吐露』だとしか思えなかった彼女の作品は、脱皮を繰り返しながら、徐々に『自信に満ちた一人の人間としての私』の作品に変わり始めている。

どの時点でも、中山可穂氏は彼女自身であって、他の誰でもないのは自明の理ではあるが、この先、彼女の作品がどんな変化を遂げていくのか、とても楽しみだ。

あせらず、ゆっくりと新刊を待ち続けたい。

 サイゴン・タンゴ・カフェ サイゴン・タンゴ・カフェ  中山可穂
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人間のかたち

Man10 「人間のかたち」

102×65.0cm 1996年制作

Mixed Mediums on Shaped Cardbord

出勤のため、バス停に立つ。

朝から照りつける太陽に背中を焼かれ、汗が胸元を流れ落ち、大変気持ちが悪い。

ワシワシワシ…と、狂ったように反響し続けるセミの鳴き声になす術もなく、腕時計とセミを交互に睨みつけながらバスを待つ。

一日中ビルの一室に閉じこもって仕事を終えた後、退社のために、朝とは逆方向のバス停に立つ。突然、轟音と共に傘を突き破らんばかりの大粒の雨に見舞われ、濡れ鼠になり帰宅

こんな酷い一日が、八月の初めからずっと続いている。異常気象とか観測史上初の記録とか、そんな言葉に、もう飽き飽きしつつある。

『地球のかたち』が変われば、当然、そこで暮らす『人間のかたち』も変わっていくだろう。

これ以上、酷い状態になりませんように…などと思いながら、娘の夏休みの宿題『エコ日記』なるものを横目で見ながら、苦笑い。

『今日、地球のために頑張ったこと』…そんなものを書き出している彼女であるが、空調の効いた家の中で、一日中テレビゲームやパソコンなどで遊びながら過ごしている、典型的な現代っ子のひとりである。

この形ばかりの嘘っぱちのエコ活動も、子供にとっては大切な提出物のようである。

夏休みもあと僅か。

多くの子供らが、父親や母親と共に『にわかエコ活動家』や『にわか科学者』に変身する時期が、今年もまたやってきた。大人も子供も大忙しのことだろう。

 どーでもいいけど どーでもいいけど
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人間のぬけがら

Maninstallation 『人間のぬけがら』

400×450×500㎝

Installation 1997年制作

子供の骨が、ポキンと折れた。

右手の指の骨が2本、ポキンと折れて捻じれた。

医者が折れた骨を、またまた捻って元の場所に正しく戻してくれた。

後はギプスの中で、骨が徐々にくっついて再生していくのを、静かに静かに待つのみである。

皮膚があって、脂肪があって、筋肉があって、骨があって、それらによって臓器が守られて…。全部揃って、人間として元気に活動できるということを、ついつい忘れてしまう。

目には見えない『心』が抜けてしまった『人間のぬけがら』は、人間を造っている要素が溶けて流れて、得体の知れないものとなり、美術館の空間に異様な雰囲気を漂わせていた。11年前のことである。

生物は、自己に備わる免疫力を使って、皮膚なり骨なり臓器なり、ある程度のものなら自然治癒させる能力を持っている。

ホメオパシー、暗示療法、催眠術、カイロプラクティックetc.etc.

自己の免疫力を高め『病気を治す』という最終目的に向かって頑張る人々は沢山いる。

何を信じるかは、個人の自由だ。だから、その療法が医学的に説明がつき、医学会で認められているのか云々については、また別の問題であるといえるのかもしれない。

唯一つ…確実にいえることは、完全に破壊されてしまった臓器は、サイボーグにでもならない限り、絶対に元には戻らないということだ。

これだけは忘れずに、皆さんお身体大切に。

アマニタ・パンセリナ (集英社文庫)

著者:中島 らも

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人間のかたち97

Man04 「人間のかたち 97」

134.5×95.0cm 1997年制作

Mixed Mediums on Shaped Cardboard

日常生活の中に起こる不思議な現象。

感性があまり研ぎ澄まされていないせいなのか、私は経験したことがない。

あまりにも体調不良が続くと、友人に「ねえー、頭の上にさぁ、亀か河童が乗っかっているのがみえない?」などと、冗談で聞いたりはするのだけれど…

同じ出来事を体験しても、それを超常現象と捉える人もいれば、夜毎軋む廊下の音に「最近、家にガタがきてて軋みが酷くってヤになっちゃうわー。まあね、築二十年ともなるとねー」と、日常の出来事として、それ以上深読みしない人もいる。

私は後者だけれど、でも、言葉に出来ない不思議なものって、結構心惹かれます。漫画なら『蟲師』や『結界師』や『百鬼夜行抄』ついつい夢中になってしまいます。

さて、今市子(いま・いちこ)さんの『百鬼夜行抄』。

今市子さんは大変綺麗な人物画を描かれます。その綺麗さが、何というか『リカちゃん人形』の綺麗さに似ていて…まあ、つまり、皆同じ顔に見えるので(人物の描き分けが出来ていなくて)、同じ本を少なくとも二度は読み返さねば、登場人物やストーリーを把握できないという、ちょっとした欠点があります。

でも『百鬼夜行抄』は、とても好きな漫画で、愛する友人と「今市子」さんのことを「今一子(いまいち・こ)」さんと呼びながらも、愛読している不思議漫画なのであります。

百鬼夜行抄(16) 百鬼夜行抄(16)

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人間のかたち

Man05 「人間のかたち」

102×65.0cm 1996年制作

Mixed Mediums on Shaped Cardbord

近隣都市で、凶悪で残虐な事件が起こるなどということは、普段の生活の中であまり想像しないのではないだろうか。

福岡県久留米市の元看護婦たちによる「連続保険金殺人事件」を報道で知ったときには、出てくる地名があまりにも身近だったので、とても実際におきた事件だとは思えなかった。

『黒い看護婦―福岡四人組保険金連続殺人―』(森 功 著)のノンフィクションを読みながら、実際に起きた事件が陰惨なものであるにも拘らず、そこに行きつくまでの過程が、あまりにも現実離れしていて、しかも滑稽ですらあることに、人間を形作る物について恐怖してしまった。

人間界を離れて山奥にひっそりと暮らす、そんな仙人にでもならない限り、人と関わらずには生きてはいけない。

自分は大丈夫?ご近所さんは大丈夫?…そんなことを考えながら生活しなくてはならないとしたら…とてもではないが精神がもたないな、と思う。『黒い看護婦』の解説で、精神科医は、主犯の女性を「サイコパス」だと書いている。

一生の中で個人が関われる人間の数はどれくらいなのかは解らないけれど、ノンフィクションにしろファンタジーにしろ、どんなジャンルの小説であっても、多くの本を読み、様々な「人間のかたち」を知っておくことは、自分や家族を守る、大切な手がかりになるのではないだろうか。

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人間のかたち

Man09 「人間のかたち」

102×65.0cm 1996年制作

Mixed Mediums on Shaped Cardbord

数ヶ月に一度、強烈な頭痛に襲われる。

頭に針が刺さったまま取れないのだ。

鎮痛薬を服薬するが効果はなく、頭を持ち上げれば眩暈と吐き気に襲われ、身動きがとれなくなる。じっと横になり、頭痛が去るのを忍耐強く待つしかない。

脳外科の受診も効果はなく、器質的な問題もない。いわゆる片頭痛とよばれるものだ。

頭痛の前には必ず「予感」というものがある。偏頭痛を持病とする人間なら、症状の現れ方に多少の差はあっても、大抵はこの「予感」を体験しているだろう。そして、その痛みの辛さも同じように「ああ、あれは辛い」と、自身の痛みを重ね合わせて感じることが出来るだろう。

頭痛の間は、痛みのために熟睡することも出来ない。ただじっと横になったまま、色んなことを考える。例えば「痛み」についてなんかだ。

「痛み」の感じ方は個々によって違う。医者に痛みを訴えてみたところで、いま自分が味わっている痛みを感じ取ってもらえることは、なかなか出来ない。

手を握り合ったり、お互いに『電脳ヘルメット』みたいなモノを被るだけで、こちらの痛みが相手にそのまま伝わるような、優れた能力や道具はないものだろうかと、頭痛のたびに思わずにはいられないのだが「そんなものがあったら医者のなり手がなくなるだろう」と、友人の失笑をかってしまった。

他人になかなか理解されにくいものは、肉体の痛みだけではない。心の痛みも同様である。

信じられないことだが、生まれながらにして「心や身体の痛み」というものを理解する能力が欠如している人間が存在するという。『精神病質者―サイコパス』と呼ばれる者たちだ。

厄介な持病の頭痛は、長くても5日程で、何もなかったように去っていく。体力が著しく落ちていて怠さだけが残る体で、本箱をあさる。

10年前に目を通したきりの埃だらけの本を手に取り、今泉が描きたかった「人間のかたち」の本質は何だったのだろう…などについて考えてみる。

本の名前は『診断名―サイコパス』 

精神病質チェックリストを開発した心理学博士、ロバート・D・ヘア著の心理ノンフィクション。

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